先日、僕たちがワンマン・ライヴをおこなった池ノ上のバー「ルイナ」は、以前はボブテイルという名前だった。
その、ボブテイルのオウナー、羽場達彦さんが、きのう亡くなられたという報せを受けた。
ボブテイルがルイナと名前を変えて以降のオウナー、飯島健さんからのメールによって、だった。
一昨年の4月。BANKの鈴木望さんが競演者として僕をライヴへ誘ってくださった。
アルバム『うたとギター。ピアノ。ことば。』のレコーディングで、ミュージシャンとしての活動を再開したばかりとはいえ、ライヴとなるとまた別の話。僕は、すぐに出演する旨を伝えられずにいた。
プライヴェートな場を除いて、4年以上、人前で歌っていなかったからだ。
しかし、いっぽうでは、レコード屋のための仕入れを通じて好きになった曲を、自分でも歌ってみたい、という欲求が頂点に達していたことも事実だった。
それを発する場として、僕は半ば本能的にレコーディングではなく、ライヴを選んでいた。
ただの経験不足なのかもしれないが、レコーディングスタジオを、自分はどうしても窮屈に思ってしまうことがある。
そんなこともあって、自分はライヴという形で活動を再開することにしたが、望さんから電話で聞いた、ボブテイルの<感じ>になんとなく惹かれたから、ということも大きかった。
ライヴ当日。池ノ上駅を降りてすぐ、地下へと続く階段を下り、初めて目の当たりにしたボブテイルの空間は、自分の音楽に合うように思えた。
羽場さんにも、そこで初めてお会いした。
BANKの演奏が終わった後、後藤雅宏さんのピアノ伴奏で、僕は茶木みやこ版の「マリー・マリー」やピチカート・ファイヴの「子供たちの子供たちの子供たちへ」を歌った。
マイクの前に立った瞬間から、過去に経験のないような緊張に苛まれたが、辛うじてステージをやり切った。
何より、ライヴ開始直後から完全に舞い上がっていた自分を、ボブテイルに集まった友人たちが温かく見守ってくれたおかげだった。
それにしても、久々のステージは、予想以上に厳しい結果に終わった。
終演後。達成感でもない、そして<ライヴなんて引き受けなければよかった>という後悔の念とも違う、複雑な気持ちで引き上げようとしている僕に、その日のギャランティーを入れた封筒を持って、羽場さんが近づいてきた。
そこで、僕は羽場さんから思いも寄らぬお褒めの言葉をいただいたばかりか、「また是非歌ってください。もう対バンしてほしい歌い手さんまで決まっています。」という、激励ともとれる次回出演の依頼までをも拝受してしまったのだった。
その時の心境から、僕は即答出来ずに、次回出演の話を持ち帰った。
別れ際、羽場さんからは、2枚のCDをいただいた。
ご存知の方もいるかと思うが、羽場さんは、ご自身もミュージシャンとして、また音楽プロデューサーとしても活動されていた。頂戴したCDは、どちらも羽場さんプロデュースによる作、だった。
数日後、羽場さんから、再度出演依頼のメールが届いた。決して長いものではなかったと記憶しているが、再び歌って欲しい気持ちが、強く、たしかに伝わってくる熱があった。
過日の<複雑な気持ち>が、どちらかというと、後悔の方へと傾きかけていたところだった。僕は、羽場さんに背中を押される形で、次回ライヴの構想を練り始めた。
そうして色々と策を練った挙句、約2ヶ月後、再びボブテイルに出演したときの編成は、自分がヴォーカル、新井俊也さんがギター、松野肇さんがベース、小西康陽さんがピアノ、というものだった。
一夜限り、「ゾニーズ」という名前の、バンドでの出演となった。
前回と同様に、自分は黒い皮靴に濃紺地のピンストライプのスーツ、黒いハット、というスタイルでお客さまに相対し、手にはマイクの他、歌詞を書いた黒い手帳を持っていた。
ゾニーズのライヴは、大盛況だった。
その日の終演後、羽場さんが「ボブテイル史上最多の動員数でした。」と仰ったことが忘れられない。
バンドのメンバーと、大勢の友人たちとで、下北沢の中華料理店へ流れて打ち上げた。全員分とまでいかなかったが、当日のギャラを、飲み食い代の足しに出来たことが、とても嬉しかった。まさにボブテイルのおかげ、僕は、久方ぶりにライヴに<酔う>ことが出来たわけだ。
ゾニーズのライヴが終わり、初秋。小西さんからの声掛けをきっかけにして、前園直樹グループとしての活動が始まった。
僕も小西さんも、ゾニーズとして出演したボブテイルでの一晩が忘れられないでいたのだ。
4月、望さんから僕へのお声掛け。次いで、羽場さんから僕への。
そう考えると、僕はお二人に、心から感謝しなくてはならないのだ。
特に、ボブテイルの店主であり、前園直樹グループ結成直前の僕を見守り、後押ししてくださった、羽場さんには。
このバンドの初めてのライヴも、ボブテイルに於いて、だった。
確認のために、パソコンの送信履歴を覗いたところ、9月になって、羽場さんから、再びボブテイル出演の依頼話をいただいていた。
それを読んではっきりと思い出したが、返信する形で、僕は、羽場さんへ前園直樹グループ結成の挨拶をしたのだった。
その時も、羽場さんはとにかく積極的なコーディネイトぶりで、対バンの方(藤原マヒトさんだった)もすでに決めてくださっていた。
羽場さんは体調不良を理由に、その年いっぱいで、ボブテイルのオウナーをお辞めになり、現在も僕たちがお世話になっている飯島(ルイナのオウナー)さんにお店を譲られた。
時期を同じくして、前園直樹グループの雑誌「うたとことば。」の2号には、原稿をお寄せいただいている。とにかく、こちらが照れてしまうほどに、僕と僕たちを激賞してくださっているのだが、それより何より、いま僕は、文中に於いて羽場さんが挙げてくださった方と、ボブテイルに於けるツーマン・ライヴが開催されなかったことについて考えている。
昨年の今と同じ頃は。僕たちにとって大切な存在だったエイジさんが、逝った。
僕は昨晩、彼とよく会いよく飲んだ、歌舞伎町のパーティーに行かずのまま、そのことを思ったばかりだったのだ。
そして今。
心から、羽場達彦さんのご冥福を、お祈り申し上げます。
(前園直樹)