水戸の夜。黒い花びらとイチジクの葉。

2010.6.21. [ 覚え。]

20100620去る土曜の夜、水戸市・南町のB2で開催された『前園直樹グループと安藤明子のうたとことば。』へお越しくださった皆さま。どうもありがとうございました。

ワールドカップ・日本戦の真っ最中でしたが、限定50の座席は、おかげさまで無事に埋まりまして。共演の安藤明子さん、主宰の菅谷元さん、フライヤーを作成してくださった猪狩さんにも、心から感謝しております。そして、会場となったビー・セカンドのスタッフの皆さまにも。とても綺麗な、雰囲気のよい、音のよい空間で演奏させていただきました。

安藤さんの歌。ギター。素晴らしかったです。
今年の2月に東京で開催した『真夜中の前園直樹グループ。』にも出演していただきましたが、僕はその時、出店していたレコード屋の店番をしているうちに、聴き逃してしまっていたのでした。止むを得なかったとはいえ、それが、とても悔しくて。
だから今回の安藤さんのステージは、個人的にも、待望のステージとなりました。感想は、ひとこと。大満足。
そこには、安藤さんがひとりで奏でるべき、歌うべき音楽がたしかに在りました。

僕たちは、というと。

僕たちも、三人で奏でるべき音楽を、安藤さんと比べれば不安定ながらも、それでもやはり、皆さんにお届け出来たかと思います。
反省の仕様も判らないのですが、ライヴ前日に弦を切ってしまったせいで、僕のギターが、かねて以上に不安定だったことが、痛かった、かな。
(演奏中に、それがマイナスの方向に作用していることに気付いて、申し訳ない気持ちになってしまった。。。)

ステージを囲むように配されたテーブルにお客さまが着いて、お食事とお酒を楽しんでいただきながら、ゆっくりと流れていった時間。水戸は本当に好きな街。水戸に暮らす人々も大好きなので、きっといつかまた、土曜の夜のようなひとときを、ご一緒したいものです。

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写真は、ひとりで乗った、帰りの常磐線・スーパーひたち車窓ぎわの景。乗車直前、泊まっていた宿の向かいにある古書店で<うっかり>買ってしまった雑誌「マンハント」のバック・ナンバーを肴に、ウイスキーを嘗めながら帰りました。

1959年12月号には、永六輔によるミニ・コラム『黒い花びらとイチジクの葉』収録。中村八大と「黒い花びら」を共作した或る夏の出来事。二人の仕事場となった八大先生のアパートには、作詞家、作曲家の他に、創唱者である水原弘も居合わせたのだった――僕はこの小文を読んで初めて、伝説的な名曲誕生の現場に、作者以外の<もうひとり>が居た、という事実を知りました。

完成版の詞、とは明記されていませんでしたが、原稿用紙に書かれた、文字の連なりを読んだ水原の、次のひとこと。

「ごきげんな詩ですね!安っぽくて!」

が、なんだか痛烈に響いて。(括弧内、<詩>は原文ママ)
車中、小さな声で「うわあ」と呟いてしまったのでした。

中村八大がピアノを叩くあいだ。永六輔が原稿用紙に向かっているあいだ。水原弘はトイレで、ずっと「マンハント」を読み耽っていたというくだりも印象的だったけれど。
とにかく、僕が<昭和>を強く感じるのは、こんなエピソードを読んでしまったとき。

(前園)

羽場達彦さんのご冥福を、お祈りします。

2010.5.29. [ 覚え。]

先日、僕たちがワンマン・ライヴをおこなった池ノ上のバー「ルイナ」は、以前はボブテイルという名前だった。

その、ボブテイルのオウナー、羽場達彦さんが、きのう亡くなられたという報せを受けた。
ボブテイルがルイナと名前を変えて以降のオウナー、飯島健さんからのメールによって、だった。

一昨年の4月。BANKの鈴木望さんが競演者として僕をライヴへ誘ってくださった。
アルバム『うたとギター。ピアノ。ことば。』のレコーディングで、ミュージシャンとしての活動を再開したばかりとはいえ、ライヴとなるとまた別の話。僕は、すぐに出演する旨を伝えられずにいた。
プライヴェートな場を除いて、4年以上、人前で歌っていなかったからだ。

しかし、いっぽうでは、レコード屋のための仕入れを通じて好きになった曲を、自分でも歌ってみたい、という欲求が頂点に達していたことも事実だった。
それを発する場として、僕は半ば本能的にレコーディングではなく、ライヴを選んでいた。

ただの経験不足なのかもしれないが、レコーディングスタジオを、自分はどうしても窮屈に思ってしまうことがある。
そんなこともあって、自分はライヴという形で活動を再開することにしたが、望さんから電話で聞いた、ボブテイルの<感じ>になんとなく惹かれたから、ということも大きかった。

ライヴ当日。池ノ上駅を降りてすぐ、地下へと続く階段を下り、初めて目の当たりにしたボブテイルの空間は、自分の音楽に合うように思えた。
羽場さんにも、そこで初めてお会いした。

BANKの演奏が終わった後、後藤雅宏さんのピアノ伴奏で、僕は茶木みやこ版の「マリー・マリー」やピチカート・ファイヴの「子供たちの子供たちの子供たちへ」を歌った。
マイクの前に立った瞬間から、過去に経験のないような緊張に苛まれたが、辛うじてステージをやり切った。

何より、ライヴ開始直後から完全に舞い上がっていた自分を、ボブテイルに集まった友人たちが温かく見守ってくれたおかげだった。
それにしても、久々のステージは、予想以上に厳しい結果に終わった。

終演後。達成感でもない、そして<ライヴなんて引き受けなければよかった>という後悔の念とも違う、複雑な気持ちで引き上げようとしている僕に、その日のギャランティーを入れた封筒を持って、羽場さんが近づいてきた。
そこで、僕は羽場さんから思いも寄らぬお褒めの言葉をいただいたばかりか、「また是非歌ってください。もう対バンしてほしい歌い手さんまで決まっています。」という、激励ともとれる次回出演の依頼までをも拝受してしまったのだった。

その時の心境から、僕は即答出来ずに、次回出演の話を持ち帰った。
別れ際、羽場さんからは、2枚のCDをいただいた。

ご存知の方もいるかと思うが、羽場さんは、ご自身もミュージシャンとして、また音楽プロデューサーとしても活動されていた。頂戴したCDは、どちらも羽場さんプロデュースによる作、だった。

数日後、羽場さんから、再度出演依頼のメールが届いた。決して長いものではなかったと記憶しているが、再び歌って欲しい気持ちが、強く、たしかに伝わってくる熱があった。
過日の<複雑な気持ち>が、どちらかというと、後悔の方へと傾きかけていたところだった。僕は、羽場さんに背中を押される形で、次回ライヴの構想を練り始めた。

そうして色々と策を練った挙句、約2ヶ月後、再びボブテイルに出演したときの編成は、自分がヴォーカル、新井俊也さんがギター、松野肇さんがベース、小西康陽さんがピアノ、というものだった。
一夜限り、「ゾニーズ」という名前の、バンドでの出演となった。

前回と同様に、自分は黒い皮靴に濃紺地のピンストライプのスーツ、黒いハット、というスタイルでお客さまに相対し、手にはマイクの他、歌詞を書いた黒い手帳を持っていた。

ゾニーズのライヴは、大盛況だった。

その日の終演後、羽場さんが「ボブテイル史上最多の動員数でした。」と仰ったことが忘れられない。
バンドのメンバーと、大勢の友人たちとで、下北沢の中華料理店へ流れて打ち上げた。全員分とまでいかなかったが、当日のギャラを、飲み食い代の足しに出来たことが、とても嬉しかった。まさにボブテイルのおかげ、僕は、久方ぶりにライヴに<酔う>ことが出来たわけだ。

ゾニーズのライヴが終わり、初秋。小西さんからの声掛けをきっかけにして、前園直樹グループとしての活動が始まった。
僕も小西さんも、ゾニーズとして出演したボブテイルでの一晩が忘れられないでいたのだ。

4月、望さんから僕へのお声掛け。次いで、羽場さんから僕への。
そう考えると、僕はお二人に、心から感謝しなくてはならないのだ。
特に、ボブテイルの店主であり、前園直樹グループ結成直前の僕を見守り、後押ししてくださった、羽場さんには。

このバンドの初めてのライヴも、ボブテイルに於いて、だった。
確認のために、パソコンの送信履歴を覗いたところ、9月になって、羽場さんから、再びボブテイル出演の依頼話をいただいていた。

それを読んではっきりと思い出したが、返信する形で、僕は、羽場さんへ前園直樹グループ結成の挨拶をしたのだった。
その時も、羽場さんはとにかく積極的なコーディネイトぶりで、対バンの方(藤原マヒトさんだった)もすでに決めてくださっていた。

羽場さんは体調不良を理由に、その年いっぱいで、ボブテイルのオウナーをお辞めになり、現在も僕たちがお世話になっている飯島(ルイナのオウナー)さんにお店を譲られた。

時期を同じくして、前園直樹グループの雑誌「うたとことば。」の2号には、原稿をお寄せいただいている。とにかく、こちらが照れてしまうほどに、僕と僕たちを激賞してくださっているのだが、それより何より、いま僕は、文中に於いて羽場さんが挙げてくださった方と、ボブテイルに於けるツーマン・ライヴが開催されなかったことについて考えている。

昨年の今と同じ頃は。僕たちにとって大切な存在だったエイジさんが、逝った。

僕は昨晩、彼とよく会いよく飲んだ、歌舞伎町のパーティーに行かずのまま、そのことを思ったばかりだったのだ。

そして今。

心から、羽場達彦さんのご冥福を、お祈り申し上げます。

(前園直樹)

1、2、3、4。

2010.5.6. [ 覚え。]

昨晩は、久々のワンマン・ライヴでした。
池ノ上へお越しくださった皆さま。演奏を最後まで聴いてくださった皆さま。本当にありがとうございました。

雑誌「うたとことば。」の最新号も、たくさんお買上いただきました。
お客さま。寄稿いただいた皆さま。そして今回も素晴らしいイラストを描いてくださったジミー益子さん。重ねて御礼申し上げます。

昨日、ステージに上がったのは、4人編成の前園直樹グループでした。
急きょ、客演してくださったのは、ドラム奏者・有泉一(ありいずみ・はじめ)さん。

ドラムスの入った編成でも演奏してみたい、という希望は、いつからか、メンバー共通のものになっていました。それが、本当にとつぜん、実現することになって。繰り返しになりますが、本当に急なタイミングだったので、メールで届いた報せを見たときには、まず驚きました。独りの部屋で「えっ!」と声に出したほど。そしてもちろん、直後から感激と興奮が込み上げてきました。

有泉さんは、アグネス・チャンや松田聖子ら歌謡曲のバッキングを実に数多く経験されてきたお方で、それに何より、小西康陽さんの、数々のレコーディングにも参加されてきた、ミュージシャンの大先輩なんです(お手持ちのレコードやCDのブックレット内、ミュージシャンのクレジットを、今一度、ご確認)。

僕自身も、オムニバス・アルバム『うたとギター。ピアノ。ことば。』参加時、「すてきなあなたに」の録音でドラムを叩いていただきました。でも、その際は、音盤に刻まれた演奏を一方的に聴いてきた方々が、レコーディング・スタジオに駆け付けてプレイする様を見て、ただただ陶然としてしまって。現場では、ご挨拶以外にはほとんどお話しさせていただけなかったような記憶があります。

そういった経緯もあり、個人的に伺いたかったことは山積していたので、昨晩のMCは大方、<有泉一さん2万字インタヴュー>といった感じになってしまいました。否、2万は大袈裟だとしても。小西さんと2人して、質問攻めにしてしまいました。

ともあれ、きっとお客さまにも楽しんでいただけたのではないかと。美空ひばりさんの伴奏を務められたときのエピソードまで、飛び出しましたもの、ね。いやはや、僕はMCの時間帯に、都合何度の「えっ!」を吐いたのか。。

でも、好奇心丸出しで色々とお話を伺う一方で、もしも自分がバンドを組んで活動するなら、年齢も人生経験も、もちろんミュージシャンとしての経歴も、様々に異なる人たちが集まって、楽曲に対峙する。そんな風でありたい、という個人的<バンド観>にも立ち返っていました。

つまり。あるとき、ある楽曲の下、様々な人が各所から集い、多様な表情を浮かべて音楽を聴くこと、そして演奏すること。それは、やはりとても素晴らしいことなのだ、と。

本当に、急きょ参加してくださった有泉さんには、感謝の気持ちでいっぱいなのです。昨晩は、スネアとシンバルのみのセット。これが、いかに奥深く難しいもので、しかしながら素晴らしいものである、という辺りは、ご本人の表情も踏まえた弁をお借りしなければ表せそうにありませんが。有泉さんのお蔭で、羽立さんのベース、小西さんのピアノの好きな部分が、自分のなかでこれまで以上にハッキリと判ったことも収穫。加えて、自分の力量の現状を再認識した、ということも。

パフォーマンスについての具体的な反省は一切表明しないまま、このエントリは締めてしまいます。お次は、(今のところ)水戸。本当に久しぶりの水戸。僕が学生時代を過ごし、シンガーソング・ライターとしての活動を始めた街。彼や彼女は、まだ暮らしているのだろうか。皆さんにお会いしたいのです。

6月19日(土)@水戸・B2(ビーセカンド)
水戸市南町2-4-43南町岩崎ビル1F
TEL: 029-291-4282/FAX: 029-291-4302
出演: 前園直樹グループ/安藤明子
開場 19:00/開演 19:30(予定)

反省は胸に秘めつつ。この興奮は、ちょっと水戸まで引き伸ばしていきたいところです。

(前園直樹)

追伸:「うたとことば。」7号の一般発売については、詳細決定次第、当ブログにてお知らせしますので、しばらくお待ち下さい。

メモから手紙へ。

2010.2.5. [ 告知。 , 覚え。]

2月に入り、「真夜中の前園直樹グループ」に向けてのリハーサルが始まりました。

と書き出しておきながら、今日はお休み。今朝は、自宅の浴槽に足を浸し、昨晩、スタジオで出した音を思い返していました。風呂場の湿気を、快く感じながら。こりゃあ、ノドにいいぞ。って、実は少しだけ、ヴォーカリストとしてそんなことを考えることもあるのです。

いきなり話が逸れましたが、今回、小西さんと僕で、また新しいレパートリーを数曲ずつ持ち寄りました。

基本的に、提案する曲の譜面は、各自で用意します。その、譜面なのですが、僕の用意するものは、自分でいうのも変ですが、結構ひどい。ドイヒー、で。

何度書いても、どの曲を書いても、思うままの響きを書き殴っただけの<メモ>のようなものに帰結してしまいます。本当は、その曲をどう聴かせたいのか、を記号化して、メンバーと、その向こう、聴いてくださる皆さんに伝える<手紙>のような水準で渡したいのですが。どこか雑だし、せっかちで。オマエ、そんなに早くマイクの前に立ちたいのかよ、と、駄目な譜面を書いた後は少しだけ自分を責めてしまいます。少しだけ。

そんな、ドイヒーな僕のメモ書きも、メンバー二人の力を借りて、少しずつ手紙へと変化していくのです。他者の能力が加わって、音楽がどんどん変化していく過程を楽しめるのなら、バンドって、最高だなあとつくづく思っています。こんなことを考えてしまうのは、独り多重録音で音を形にしていく時期が、長かった所為なのでしょうか。

いやはや。結局、バンド、今年も楽しんでいますよ、というお話をしたかっただけ、なのでした。新レパートリー、どうぞお楽しみに。

皆さん、2月10日の真夜中は、下北沢、モナ・レコードへ(詳細については、ひとつ前のエントリーでご確認)。出演してくださる安藤明子さんの新しいアルバムを、昨晩、頂戴しました。素晴らしい作品、とのことで、これから聴かせていただきますが本当に楽しみです。そして、同じく京都からは、バンヒロシさんもご登場とのこと。

さらには常盤響さん/平林伸一さん/松永良平さん/コッキーポップ2010(フカミマドカ&行達也)/市川雅代さんのDJ。おまけにいくつかミニ・ショップまで出現する模様。と、ここでとつぜん私的な告知になって申し訳ないのですが、ワタクシ前園も、ワニ・ブック店主のミズモトアキラさんとご一緒に、中古レコード・古本・笑顔を用意して、皆さんのご機嫌を伺います。

でも、あくまでもライヴを成功させなくては、今回のイヴェント、格好付かないので! と自分に言い聞かせながら、久々の投稿は、この辺にて。明日はまた、リハーサルです。

(前園直樹)

富山ライヴ御来場ありがとうございました!

2009.7.30. [ 覚え。]

 

 

 

 

 

 

 

先日の富山ライヴに足を運んでいただいた皆様。本当にありがとうございました。
それと、とてもリラックスしたムードを演出?作り出していただきこれまた感謝でございます。

東京でのライヴとは違い、会場には椅子とテーブル。
そのテーブルの上にはロウソクの灯りが燈っていました。

曲間、あるいは曲中の静かな部分での缶ビールのフタを開ける音。プシュッ
そのままビールを注ぐ音さえ聞こえてきそう。
でも楽しんでいただけているようで、何だか心地いい。
その心地よさが我々の演奏へと流れを注いでくれたようで。
そういえばスタッフの方もビールをステージに持ってきてくれたりしたっけ。

富山の方々やその他の土地からの方々、スタッフの皆様、ありがとう!またお会いしましょう!

MCでもちょっと話しましたが、我々の東京でのライヴしかご覧になった事のない方々へ。別の土地でご覧になるのも一興でございますよ。
そうやっていろんな土地で盛り上がっていけたらいいなーと思った旅でもありました。
さて、お次はどの土地へ・・・

(羽立光孝)